恋愛における"束縛"に対する一般論と考察
恋人関係という状態には強度の違いはあれど行動に限定条件が生まれる。
恋人以外の異性と二人きりでの食事、手をつなぐ、キス、泊まりにいく等の行為は恋人がいなければ許されていたことも恋人ができた時から(純情な人は好きな人ができた時から)制限される。
今回はこのような制限を相手に与えるもしくは与えられる(つまりは受動的な行動の制限)について考察してみよう。
大きくわけて3つのテーマについて考えてみた
1、恋愛における束縛の一般的解釈
2、なぜ、束縛をするのか
3、束縛の効果
個人差をなくすために1以外では
「当たり前だから」「みんなそうだから」
などの面白みもなく中身もない考え方は排除し可能なかぎり論理的に話をすすめていく。
1、恋愛における束縛の一般的解釈
僕があった人の話を聞く限り以下のようにまとめた
"恋人関係を潤滑に続けていくための互いの行動の制約条件"
重要なのは恋人関係ということ
これが後々やっかいでただの口約束で恋人は生まれる訳でこの契約による制約は法的なものでもなく、ただの倫理的な制約であることを覚えておいてほしい
恋人にたいする行動は社会的、法的になんの効力ももたない!
(⬅これにおいては賛否あるだろうから別の機会に考えてみる)
今回は(というか実際問題そうなのだが、、、)このようなルールのもと話を進めていく。
2、なぜ、束縛をするのか
ここ。今回の話の核はここなのです。
どうして束縛をするのか。。。考えてみてください。
なんの考えもなしの自然と恋人の行動を制限していませんか?
なんのため?
今回最も主張したいことですが、、、
これって
"自分のためじゃないですか?"
裏切られるのが嫌だ相手を失うのが嫌だ他の相手にとられるのが嫌だ
そう全部自分のためですよね。。。
自分のもちたい関係性を崩したくないがために相手の行動を制限監視する。
束縛の行動原理は自分かわいさ、これのみだと思います。
だって片思いのときは相手のことを束縛したいなんて考えませんよね?
自分のものになって安心したくてわがままになっているだけではないでしょうか?
とりあえず次の項目いきましょう
3、束縛の効果
これは本当に難しい。よっぽど力量があるかたでないと束縛に望むような効果は得られず相手とのけんかのたねになってしまいます。
ほとんどのかたが束縛に対する効果が十分に得られずそれを相手のせいにしています。
自分のためにはじめた束縛の成果を相手のせいのする。
これ恋愛じゃなければ全く道理通りません。
相手に余計なストレスを与えてしまうだけです。
じゃあどうするか、、、
相手を愛しましょう!w
結局これが最強の束縛です。
相手といないときは束縛して安心するのではなく自分を磨き魅力をあげ相手が自分からは離れないという自信がつくぐらいでいましょう。
そうして愛していれば自然と相手もあなたを傷つけるようなことはしなくなります。
愛され上手は束縛からではなく愛情から生まれるんじゃないでしょうか。。。
では。